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第22回 二つの市民社会とメディア:メディア論のための素描2 清家竜介

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 私は、現在、市民社会論とメディア論を結びつけて考えている。というのも私たちが生活する市民社会において、人々の意見や財などを流通させる手段であるコミュニケーション・メディアの進歩や変化が、それまでのメディア環境を劇的に変化させ、ひいては巨大な社会的変化をもたらすことがあるからだ。それゆえメディア環境の劇的変化が生じている現代においてメディア論という視角から、市民社会について論じることには大きな意味があると思う。
 この主題を論じるために、ユルゲン・ハーバマスの市民社会論について少しばかり触れておきたい。ユルゲン・ハーバマスは、ドイツの社会哲学者で、フランクフルト学派第二世代の中心人物である。ハーバマスのコミュニケーション論や公共圏論を基礎にした市民社会論を参考にすると、メディア環境による市民社会の変化を捉えるのに非常に便利である。

 ハーバマスは、その著書『事実性と妥当性』の中で、近代の市民社会を二つの側面から区別している。まず第1の市民社会とは、"bürgerliche Gesellschaft"である。ハーバマスは、この市民社会を、G.W.F. ヘーゲルが「欲望の体系」として捉えたものであると述べている。
 ヘーゲルによれば、この「欲望の体系」としての市場経済は、家族と国家の間に生じた差別態である。欲望の体系としての市場経済は、家族から離れた個人が、自らの物質的な欲望を自由に追求する場である。
 人々は、自己の欲望を追求するために、商品の生産やサービスを市場に持ち寄り提供することで、それを購入した購買者からその対価として貨幣を得る。そして購買力そのものである貨幣を手に入れる。さらに手に入れた貨幣を他の商品の購入するために支払うことで、自らの欲望を叶える。欲望の体系としての近代の経済社会において人々は、他者の欲望を満たすことによって、自己の欲望を追求できる仕組みになっている。 
 ヘーゲルは、アダム・スミスやジェームズ・スチュアートなどのイギリスの古典派経済学を学ぶことで、近代社会の核心にこの「欲望の体系」が存在することを見いだした。ヘーゲルが述べている「欲望の体系」とは、私たちが日常的に行っている自由な経済活動の本質的規定であると言ってよい。この"bürgerliche Gesellschaft"=「欲望の体系」をここでは、経済的市民社会と呼んでおこう。
 経済的市民社会を結びつけている中心的なメディアは、貨幣である。貨幣は、社会学者であり哲学者でもあったゲオルク・ジンメルが指摘したように、交換する際の偶然性である、「欲望の二重の一致の困難」を解消させるメディアである。「欲望の二重の一致の困難」とは、人々が経済的交換に臨む際に、お互いが欲しい財が一致しないと、経済的交換が成立しないということを意味している。
 たとえば車の所有者であるAさんと、バイクの所有者であるBさんの間で、車とバイクの交換が可能になるためには、まずもってAさんが、Bさんの所有するバイクを欲し、もはや自らが所有する車を必要としない。BさんもまたAさんの所有する車を欲し、もはや自ら所有するバイクを必要としない状況でなければならない。このように互いが欲する対象が二重に一致したときに経済的交換が可能となる。
 実のところ偶然に出会った二人の間で、「欲望の二重の一致」が成立することは稀である。経済的市民社会において、経済的交換がつつがなく成功するためには、あらゆる経済的交換に潜在している「欲望の二重の一致」の困難を切り抜けねばならない。この「欲望の二重の一致」の困難を飛び越え、日々の経済的交換を可能にするメディアこそが貨幣である。
 欲望の体系としての経済的市民社会における交換は、基本的に商品交換である。市場で交換を行うのは、商品所有者と貨幣所有者である。商品所有者にとって、自らが所有する商品は、貨幣所有者に購入してもらうための手段である。また貨幣所有者にとって、貨幣は、自らが欲する商品を購入するための支払い手段である。よって貨幣所有者が、自らの欲する商品を見つけ、価格通りのお金を支払えば、必ず商品を手に入れることができる。
 貨幣は、その量を度外視すれば、あらゆる価格のついた商品の購入を可能にする特権的な手段である。もし「欲望の二重の一致」の困難を解消する貨幣というメディアが消えてなくってしまえば、円滑な商品交換が不可能となり、経済的市民社会は速やかに瓦解するだろう。

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 ところで近代の経済的市民社会は、さまざまな偶然性に晒されている。例えば、他者の生命や財産を尊重せず、ルール無用で他者が所有する財を暴力を用いて略奪するものがいるとしよう。そのような人々から経済的市民社会の秩序を守るためには、「他者の生命や財産を尊重しなければならない」等の基本的なルールを明確化し、それを守らせる必要がある。ルールの明確化は、法律を制定することによってなされる。
 法律を制定するためには、立法府が必要となる。また法律を運用し執行するために、司法や警察力などが必要だ。このように近代的な経済的市民社会を秩序だったものにするために、まずもって法治国家が要請されるわけだ。いわば無定形な経済的市民社会は、自らに秩序を与えるために二重化することを余儀なくされる。
 ハーバマスは、二重化したもう一つの市民社会を"Zivilgesellschaft"と呼ぶ。自らの生命を維持し財産を所有する「市民(Zivil)」が、自由なコミュニケーションによって討議し、選挙によって代表者を議会などに送り出し、政治的な秩序をつくりだす。つまり政治的コミュニケーションによって、経済的市民社会はコントロールされる。市民たちによる自由なコミュニケーションによって法を作り出し、経済的市民社会を制御する"Zivilgesellschaft"を、ここでは「政治的市民社会」と呼んでおこう。
 政治的市民社会が作り出す「法」もまた、政治的市民社会と経済的市民社会を媒介するとともに、経済的市民社会を制御するコミュニケーション・メディアなのである。

参考文献
G.W.F. ヘーゲル『法の哲学』中央公論新社、2001年
G・ジンメル『貨幣の哲学』白水社、1999年
J・ハーバーマス『事実性と妥当性』未來社、2003年


症状の事例

  1. うつ病
  2. SAD 社会不安障害・社交不安障害
  3. IBS 過敏性腸症候群
  4. パニック障害