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第32回 津島佑子のこと 「狩りの時代」感想文に代えて 菩提寺光世

「演説はいつまでも終わらず、ここはじつは病院のベッドなのではないか、ベッドのまわりにひびく自分の声を聞きながら、
永一郎はついに自分が倒れてしまったことを逃れようもなくはっきりと、意識しないわけにはいかなくなった。」
「狩りの時代」 津島佑子 

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津島佑子が去ってから発見された遺稿「狩りの時代」は、第二次世界大戦時ヒトラー・ユーゲントの訪日歓迎式典で起った出来事に端を発し展開するある親族の話である。熱烈に歓迎したほとんどの日本人がそうであったように、ひとりの少女と二人の少年のヒトラー・ユーゲントに対する極まる高揚感と胸の高鳴りが描かれる。「元の場所に引き返せないほど感動」し、「どれほど頼んでもかれらの一員に加えてもらえない自分たちの黄色い顔を悲しんだ」少女は、世界で最も優れた血統であるアーリア人種の、さらに選別された美しい青少年に驚き、急にトイレに行きたくなる。どうしても我慢できなくなった少女は草むらに隠れて用を足し、大急ぎで下着を引っ張り上げると、ユーゲントの少年が真っ赤な顔をして、立ち尽くしていた。おそらく同じ理由で彼もその場にいたのだ。恐れた少女は、従兄弟の少年に命じられ、取り繕うためにユーゲントに機嫌取りのキスをする。さらに赦しを乞うため笑いを誘おうと、手足をくねらせ、はだか踊りを披露する。遂に少女は泣きじゃくりながら、それでもはだか踊りを続けていた。
津島作品では水が性と生命の源流のように、そして死へ誘う闇として出現する。時に水はうねりとなって社会からの断絶を余儀なくし、また時に隔たる水の向こうから再びの逢瀬が叶えさせるものとして描写される。それは「火の河のほとりで」の河であり、「ヤマネコ・ドーム」の沼であり、さらに「狩りの時代」の少女が我慢できずに放出させた体内から溢れた水。「狩りの時代」で「憧れ」は、「差別」と表裏一体となって人の根源的な欲望に根ざしているかのようだ。

物語に戻ろう。
ユーゲントにはだか踊りを披露してしまった少女の姪にあたる絵美子が、語り手となる物語も時を隔て同時に進行している。絵美子の兄は知的に障がいを抱えている。従兄弟が耳元でささやく。障がい者の耕一郎は「フテキカクシャ」だと。「不適格者」には安楽死を、とナチスは主張した。これは差別ではなく慈悲によるものであると。社会からの追放がはじまった。それが遂には大量虐殺となったのは、あっと言う間のことだった。排除は差別ではなく、合理性に基づく「選別」であった。「不適格者」を養うまでの余裕を、自分達の社会が持ち合わせていない以上、障がい者、性的マイノリティー、ユダヤ人の大量虐殺は社会における適正な対処となった。「憧れ」と「差別」が入り交じるコンプレックスの増殖はマジョリティーの力に支えられ、「適正な」社会通念となって行く。「フテキカクシャ」のささやきが絵美子を翻弄し続け、しこりとなって消えることはなかった。彼女が生きることに投げやりになるのも、ほかでは得られない興奮を欲し幼い頃に万引きをしてしまったのも、子供の頃に知的障がい者である兄耕一郎と過ごしていたからではないか。彼女はすぐに打ち消す。すべての理由を兄に押しつけてしまっては、自分こそが『こうちゃんを「フテキカクシャ」と指弾して、にやにや笑いながら「ジヒシ」、もしくは「アンラクシ」に追い込もうとする連中のひとりになってしまうではないか。』

物語の最終は、絵美子の叔父永一郎が亡くなる間際のまどろみなかで演説という形式で語られる。
ユーゲント歓迎式典に勤しんで行った叔父は、核研究の一人者として戦後アメリカの大学での研究職を得ている。海外へ出立する者は、もう再び会うことはないかもしれないと見送る親戚縁者、関係者に囲まれたなか搭乗前に挨拶をするのが当時の習わしだった。当時行われた演説が、死の間際の最期の演説に変化して行く。
空港で奇声を張り上げかけずり回っている耕一郎は、家族を不幸の状態に陥れる存在でなく、障がいが人の価値を左右させるものでは決してない。むしろ彼まわりでは笑いがたえない。
戦争に負けて考えを根底から変えたドイツであったが、日本はチャンスにさえ恵まれればいつでも復活するつもりでいた。その象徴が、原子力発電所であり、核さえ持っていれば偉大な日本はいつでも復活できる。そのように信じ、結果あの大爆発を経験したのだ、と。それが核の力に魅惑されて、その研究者になった永一郎が出した結論だった。
私が津島さんから読むよう渡された「一九八九年の丸山眞男」(2013年『すばる』3月号掲載)に、先の大戦で日本が敗戦したことによって得た「日本国憲法」を「押しつけ」だと譲らない保守層の日本国憲法に対する構えは、最終的には解釈を変えることにあるのではないか、と書かれてあった。

物語のなかで一見何の脈絡もないように見える差別と原発は、「憧れ」という欲望のコンプレックスでひとつとなり、奥深くでうごめいていた。憧れは、自分が手に入れることができない劣等感と一体をなしている。ひとつには青い目と白い肌への憧れであり、ひとつには万物を制しひれ伏させる核の力であろう。憧れが根拠のない安全を正当化し、危うさを隠蔽する。潜そむ危険を直視することは、それに惹かれた自分の欲望を否定することになるからだろう。
彼女がこの物語を書き残した数ヶ月後、相模原障がい者施設殺傷事件が起きた。施設の障がい者をすばやく合理的に抹殺することを計画した青年は、またたく間に計画通りに次々と実行した。「ヒトラーの思想が降りて来た」と彼は言った。彼が社会のために適正だと考えたこの行動を後押しする背景が、私たちの今を取り巻いているのだろうか。私は彼女の作品の言葉をひとつひとつ追いながら、そして拾うように読んでいる。

葬儀ミサに参列し、初めて彼女がキリスト教徒であったと私は知った。彼女の生前に、作品をしっかり読み込めなかった私は、彼女と信仰を結びつけることができなかった。むしろ、根拠が明確ではないものに依ることはないはず、と納得できない気分が残った。今は違う。外にも内にも射るように厳しい視線を向けた津島佑子が、言葉に現われる。繰り返す内省に、この人が信仰を持つ人であることに得心が行く。
彼女はキリスト教徒として、神に憧れることはなかっただろう。むしろ書くことが、彼女の信仰の証だったのではなかろうか。そして待っていたのだろう。言葉が届き、力となることを。

39℃を越える高熱を薬で抑えながら、それでも書き続けた言葉の更新がPCに記録されていたのは、なくなるわずか1週間前だったという。
彼女がまどろみのなか再会を果たしたのは、父としての記憶はなかろう太宰治、若くして逝ってしまったダウン症だった兄と、なくしてしまった息子だったのだろうか。
津島佑子氏逝去の知らせを受けた今年も、もう終わろうとしている。

「広瀬川はかがやきを失わず、豊かに流れつづけ、そこでは耕一郎があどけなく微笑を浮かべ、わたしを待ち受けていたのです。わたしの弟であり、耕一郎の父親である遼一郎が寄り添っています。」
「狩りの時代」 津島佑子

症状の事例

  1. うつ病
  2. SAD 社会不安障害・社交不安障害
  3. IBS 過敏性腸症候群
  4. パニック障害