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第18回 21世紀のメディア的身体----『2001年宇宙の旅』から 清家竜介

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 メディア論に関する講義で、スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』(1968)の映像を受講生の皆さんに見てもらっている。この映画にメディア論の本質を描きだした印象的なカットがあるからだ。それは、冒頭で人類の祖先であるアウストラロピテクスが描かれている箇所である。

 群れで生活している猿人たちは、他の猿人のグループと水場を巡って争っている。水場を守るために猿人は、吠えたり身体の動作で威嚇したりする。猿人の群れが、自らの身体を使って争っているシーンである。この身体を使用し争う状態は、人類の祖先であるとはいえ他の多くの動物と変わらないように思える。
 この猿人の群れが、ある日突然現れた「モノリス」という石版とコンタクトすることによって、突然知性に目覚める。このモノリスは地球外生命体が送り込んだ装置である。
 知性への目覚めによって、猿人は、動物の大腿骨と思われる骨を道具として使用することができるようになる。これは、猿人が対象を客体化し、それを道具として使用できる知的生物に飛躍したことを意味する。このシーンは、人間は道具の使用によって、他の生命から区別されるという仮説に則っている。これは生命として、猿人が動物性から人間性の段階へと飛躍したことを表現しているわけだ。この人間観を学問的に表現したのがアンリ・ベルクソンである。ベルクソンは、『創造的進化』(1907)の中で人間の本質の一つが「ホモ・ファーベル(工作人)」であることを論じている(注) 。

 猿人たちは、水争いの場にこの大腿骨を持ち込み、他のグループの猿人を殺害する。道具を使用できない動物性の段階では、そう簡単に他の類人猿を殺害することは出来ない。それが道具の使用によって、より効率的に他者を殺害することが可能となるのだ。

 道具による最初の"殺人(殺猿)"が描かれた後、映画史上に残る名シーンが続く。他のグループに勝利した猿人が勝利の雄叫びとともに振り上げた骨が、天空に舞い上がる。その骨が、一気に時空を飛び越え、宇宙空間に漂う核兵器を搭載した棒状の衛星に早変わりする。町山智浩氏によれば「四百万年を一瞬でジャンプする映画史上最大のフラッシュフォワード(時間をジャンプするカットつなぎ)」として名高い。このシーンは、メディア論の本質を一気に描き出している。キューブリックによるこの名シーンを可能にした思想的背景に、恐らくマクルーハンのメディア論が存在している。

 当時アメリカでは、現代メディア論の基礎を作ったマーシャル・マクルーハンが、ニューメディアであったTV時代の寵児として華々しく活躍していた。
 マクルーハンは、「メディアはメッセージ」であるとか「メディアは身体の拡張である」という言葉によって、メディアの本質と社会的効果を強調していた。後者の「メディアは身体の拡張である」という言葉は、さまざまなメディアは身体の"働き(機能)"を拡張するものであるということを意味している。例えば、車の車輪は、人間の脚による"走る"という機能を拡張するものである。例えばコップは、水を手のひらで"すくう" という機能を拡張するものだ。
 『2001年宇宙の旅』で描かれた動物の骨は、身体の働きを拡張する最初のメディアであり、最初の"武器(他の生命を殺害する道具)"であった。生身の身体で最も固く鋭利な部位は"歯"である。道具的な知性に目覚める前の猿人は、歯をつかって他者を傷つけ、あるいは頸動脈あたりに噛みついて殺害していたのかもしれない。動物の骨は、いわば歯の"他者を傷つけ殺害する"という機能の延長である。マクルーハンは、ピストルから放たれる"弾丸"を"歯"の拡張であるという。そうであれば、他者を殺害するための道具である動物の骨が、核兵器を搭載した衛星へと変化することは、他者を殺害するという身体の機能を拡張した道具の当然の進化を一瞬にして表現したものであることが分かる。

 米ソによる核戦争の一歩手前までいった1962年のキューバ危機が、この映画の時代背景にある。『2001年宇宙の旅』は、核によって人類の存亡が脅かされている核時代に生まれた映画なのである。この作品には、核による人類絶滅の危機を、新たなる知的飛躍によって乗り越えなければならないというメッセージが込められている。
 20世紀近代は、核兵器の発明によってそれまでの総力戦として展開された戦争の在り方を一変させた。核兵器は、二つの世界大戦を生み出した20世紀近代前半の熱い歴史を瞬時に凍結させたわけだ。私達は、キューブリックが期待したような核の時代を乗り越えるほど知性を飛躍させていない。いまだ人類は、核を必要とする時代が生じさせる様々な問題に苦しんでいる。

 他方でメディアは、身体の様々な働きを拡張するだけでなく、人々の意識やコミュニケーションをも拡張する。それは端的に言語であり、言語的メッセージの乗り物である「声」や「文字」「活字」「電子メディア」などである。キューブリックが描いたように人類は、他者を殺害する兵器の破壊力を増大してきただけでなく、「和解」や「遊戯」のためのメディアも同時に発達させてきた。
 意識やコミュニケーションを拡張するメディアは、いまやインターネットのように世界大で瞬時のコミュニケーションを生み出すに至っている。核の時代も半世紀以上が過ぎた。私達は、いまだに核の時代を乗り越えていないが、兵器の殺傷力や効率性という方面ではなく、「和解」や「遊戯」のためのメディアを発達させ、活用していかねばならないだろう。
 スマートフォンやiPadが新しい石版であると指摘したい訳ではないが、手軽になった、身体を越えた双方向的コミュニケーションによる「和解」や「遊戯」という理念の方面でこそ、私達は前進していかねばならないだろう。
                                                                                                        

(注)ヨハン・ホイジンガは、『ホモ・ルーデンス』で、ホモ・ファーベルである以前から人間は「ホモ・ルーデンス(遊び人)」であることを指摘している。


参考文献:町山智浩『〈映画の見方〉がわかる本』洋泉社、2002年

症状の事例

  1. うつ病
  2. SAD 社会不安障害・社交不安障害
  3. IBS 過敏性腸症候群
  4. パニック障害