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第21回 デジタル化による祝祭空間の変容 : メディア論のための素描1 清家竜介

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 現代は、インターネットなどに代表されるデジタル化した電子メディアや情報通信技術の発展によって、メディア環境の劇的な変化が生じている。このメディア環境の変化によって、これまでとは異なったコミュニケーションの流れが出現し、巨大な社会的変化の波がひたひたと打ち寄せている。私は、その変化を痛感したのが、いわゆる民主化として生じた"アラブの春"であった。
 その時、私は、現在新聞記者になった後輩とともに、アジアカップにおけるサッカー日本代表の試合の実況中継に見入って"GOOOOOOOOOAL!!"などと気軽にツイートをしていた。
 ツイートしているうちに、Twitterのタイムライン上に、中東のシリアでの革命騒ぎでベン・アリ政権が打倒され、その騒ぎが隣国のエジプトに飛び火し、中東一帯に広がる勢いだという情報が飛び込んできた。私は、その情勢が気になって、それを報じるツイートなどを検索し追いかけていった。そうこうしているうちにそれらの情報が掲載されている無数のサイトへと辿り着いた。
 そこでは、インターネットに媒介された民主化の過程が、テキストや動画などの情報も含め同時中継されていた。こうしたメディアに媒介された情報の流れは私にとって非日常的かつ劇的でスリリングな体験であった。よくわからないアルジャジーラの放送やアラビア語の情報などを、大勢の翻訳者達がそれらを素早く翻訳し、日本語でもその動向を刻一刻と追うことができた。そこでは遠く離れた時空間の距離を超え、さらには言語という障壁をも軽々と突破して結びついていく劇的なコミュニケーションの連鎖が生じていたのだ。
 サッカー好きの私にとって、日本代表やUEFAチャンピオンズリーグなどの試合は、予想することのできない過剰な偶然性に晒された非日常的な祝祭的空間である。だがその日スポーツイベントとは少々趣の異なる祝祭空間へとTwitterというヴィークルに搭乗し、誘われていったのだ。

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それから暫くの間は、世界史的な新たな政治的変動の始まりと思われたアラブの春をインターネットで共有しながら、どうなることやらと興奮を持って追いかけていった。そこでは、FacebookやTwitterなどのソーシャルメディアが民主化のための非常に重要なツールとして活用されていることが次第に明らかになった。
 電子時代の新たなメディア革命によって生じた社会的・政治的変動をインターネットという新たなデジタル技術を通じて共有しながら、私はアンリ・ルフェーブルの以下の言葉を思い出していた。

「現代の革命は、単に政治的変化から成るものではない。それは技術の上での可能性だけではなく、意識するか否かは別として、人間的可能性の開花に向かう。それは日常の倦怠と単調から手を切る。それは「祭り」になろうとする。移行は同時に日常性から「祭り」になろうとする」(H・ルフェーブル『パリ・コミューン』)

 美学者であり社会学者でもあったルフェーブルのこの本は、1965年のものだが、同書の日本版への序文(1967 年)の中にあるこの言葉は、まだ色あせていないのではないかと思われたのだ。まさにテクノロジーの革新が新たなコミュニケーションの流れを生み出し、その奔流があらたな"人間的可能性" を開花させつつあるのではないかと感じていた。
 この見通しは、かなり楽観的だったと今では思う。新たなメディア環境の変化は世界史的変動を確かに生じさせている。けれどもその変化から生まれるであろう果実が新たな社会的秩序となって実を結ぶのは、それなりの時の流れを必要とするだろう。若々しく萌え上がった"アラブの春"から生じたコミュニケーションの奔流は、それに反撥する波と揉み合いながら現在も進行中である。
 このようなメディア環境の変化による社会的変化を理論的かつ簡潔に表現したのが、ハロルド・イニス、ウォルター・J・オングなどのメディア研究の俊英が集まったトロント学派の系譜に位置づけられるマーシャル・マクルーハンであった。その象徴的表現が以下の件である。

「メディアは、我々のすみからすみまで変えてしまう、メディアは個人的、政治的、経済的、美的、心理的、道徳的、倫理的、社会的な出来事すべてに深く浸透しているから、メディアはわれわれのどんな部分にも触れ、影響を及ぼし、変えてしまう。メディアはマッサージである。こうした環境としてのメディアの作用の知識なしには、社会と文化の変動を理解することはできない。」(M・マクルーハン『メディアはマッサージである』)

 私は、アラブの春の前からメディアに関する研究を進めていたが、その世界史的出来事を経由することでそれ以前にも増してこのマクルーハンの言葉の重みをひしひしと感じた。
 そのようなデジタル化したメディアを媒介にした市井からの波は、中東だけではなく、隣国である台湾や香港にも出現している。
 例えば、今年の三月に生じた台湾の太陽花運動に素早く反応した港千尋は、「午前四時の民主主義」というコピーがインターネット上に流通し、それがその後ニューヨークタイムスの国際版の全面広告として写真とともに掲載されたことに着目している。
 もちろんニューヨークタイムスに掲載された写真の視覚的効果のインパクトは甚大であったが、港が指摘するように、無数の人々が民主化のプロセスを自ら携帯電話やスマートフォンで撮影し、数え切れない写真や動画群をアーカイブ化していったことがさらに重要である。
 携帯やスマートフォンにアーカイブ化されてゆく無数の写真や動画は、TwitterやFacebookなどで共有されることで、人々の知覚を揺さぶり、新たなコミュニケーションの流れを繋いでいく。活字時代の中核をなした新聞というメディアが一対多という形で作り出してきたコミュニケーションの流れと質量ともに異なった、多中心的かつ双方向的なコミュニケーションの流れが、ローカルかつグローバルに現代社会を揺さぶっている。


引用文献
H・ルフェーブル『パリ・コミューン』岩波書店、2011年
M・マクルーハン『メディアはマッサージである』河出書房新社、2010年


症状の事例

  1. うつ病
  2. SAD 社会不安障害・社交不安障害
  3. IBS 過敏性腸症候群
  4. パニック障害