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第26回 メディアとしての音響機器 ジミヘン、マイルス、ジョン・レノンを聴く 清家竜介

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中学生の頃までは欧米のポップスや日本のニュー・ミュージック、あるいはTV番組などで流れているような歌謡曲を聴き流していた。
もちろんレコードやCDなどを買う意欲は、ほぼ全く無かった。
そんな状況が変わったのは、ブリティッシュ系ハード・ロック好きの友人達の煽りを受けて私もロックを聴くようになってからだ。
今となっては何で頼んだのかはよく判らないが、都会に遊びにいく友人に、地元大分のレコード屋で手に入らなかったジミヘンのCDを頼んで買ってきてもらった。
友人が持ち帰って来てくれたアルバムは、"In the West"のCDだったと思う。
いきなり一曲目の"Johnny B. Goode"のカヴァー曲が、ノイジーかつ凄まじいドライブ感で迫ってきて衝撃を受けた。
恥ずかしい話だが、聴いた瞬間にチャック・ベリーではなくて、映画"Back to the future"でマイケル・J・フォックスが弾いたそれを思いだし、そんなものを遙かに凌駕するカッコ良さに打ちのめされたと記憶している。
僕はいわゆるMTV世代だから。
"In the West"の衝撃で、ジミのCDやカセットテープなどを幾つか集めた。
その頃特に好きだったのは、ジミヘンのベストアルバム"Smash Hits"、ライブアルバムの "Isle of Wight"などであった。
けれども名盤と呼ばれる "Electric Ladyland"(オリジナルがステレオ録音)は、音があっちいったりこっちいったりして落ち着きがなく、しつこく腰を据えて聴き続ける私には響かなかったり、スタジオ録音を収録したかなりひどい海外のCDをうっかり買って後悔したこともあり、ジミヘンの音に対する探究心はしだいに薄れていったと思う。
基本、好きなものを繰り返して聴くタイプである。

ところが最近、最初期の"Are You Experienced?"のモノラル・レコードを菩提寺先生のピュア・オーディオの爆音で聴かせてもらって、耳が孵化して覚めた。
ROKSANのザクシーズに針を落とすと、嵐のような轟音のハウリングとともに、荒々しくもノイジーなジミヘンたちが目の前に立ち現れたかのようだった。
CDなど幾つかのバージョンも聴いてみたが、モノラル録音のレコードで聴くと、ネットでどなたかがAMラジオから凄い音がしたようなと表現されていたと思うが、まさにその通りのローファイであるにも関わらず、またローファイであるがこそ感じられるリアリティを感じた。この音とともにジミたちの精神の在りようがそのまま顕現するかのようだった。

けれどもCDで聴くと、ジミヘンの野性的でノイジーな雑味(旨み)が失われるとともに、彼らの演奏が持つ妖艶なアウラも消えていなくなってしまうのだ。

メディアの変化によって、アウラの再現が困難になってしまうのだろうか。

今思えば "Electric Ladyland"は、ステレオという新たなメディアを上手く使いこなせず、弄り過ぎてかえって聴き苦しくなっているように思える。
ステレオ録音以前はモノラルの録音であるから、当然モノラルの方が作成当時のミュージシャンの精神性をストレートに封入していたのではないだろうか。
また、それらのアナログの記録をエンジニアたちがCDというメディアに変換するときに、どうしてもデジタル技術の影響とエンジニアたちの志向が入りこんでしまい、音が変質してしまう傾向にある。聴く方のニーズもあるだろうが。
多くの場合、裸眼で見たかのような明瞭な音像が、曇りガラスや度の合わない眼鏡をかけたかのように歪んでしまうのだ。

同日にジミヘンを聴いた後に「これもひどいよ」とフィルスペクターがプロデュースに絡んだ"ジョンの魂"のレコード(UK盤マトリックス1)とCDのUK盤(AAD)の比較を聴かせてもらった。
恐らく音響学的に非常識なことをしていると思われるフィルスペクターがらみのミックスから生じるジョン・レノンの精神性(リアリティ)が、CDからはほとんど感じられなかった(M.レヴィンソンのCDドライバーでも)
カフカのなまりみたいに精神性の細部はCDでは再現することが困難なようだ。
記録するメディアという形式の変化によって、エンジニア達の媒介の影響も含めて、録音された音楽の質に影響を与えてしまうということだろうか。

ところで最近、菩提寺さんの影響もあってマイルス・デイビスを好んで聴くようになっている。
まず師匠に 無茶な話だがいきなり"Agharta"や"Pangaea"を勧められた。ところが何故かマイルスの攪乱するオルガンがとても好きになってしまった。
確かにそれ以前は、今となっては何故だか判らないがビル・ラズウェルがリミックスしていた"Panthalassa"を好んで聴いていた。それから十数年以上経って "Kind of Blue" の リマスターCDも好んで聴くようにはなった。前者のシャープなリズムと激しい音や、後者の静謐な緊張感に満ちたマイルスやコルトレーンたちの掛け合いが非常に好きだった。マイルスのトランペットの硬質な緊張感が好物だ。
師匠にその"Panthalassa"の話をしたら、「それでいいんですよ。70年代のマイルスの後継者は、チックコリアやジョー・ザビヌル、ウェイン・ショーターなどいわゆるフュージョン勢ではなくビル・ラズウェル等でしょうから。難しいと言われてる頃から先に聴けばカインドオブブルーもより理解しやすいのではないでしょうか」と言われ、自分の耳もなかなかのものかも知れないと少しばかり自信を持てた。

人脈図(系統図)なんかだけ見ても何もわからないのだ。

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ジミヘンを聴いた後、師匠に"Kind of Blue"と"Milestones"のレコードとCDを何枚か聴き比べをさせてもらった。
特に"Milestones"の幾つかのバージョンを聴かせてもらったが、何が何でもオリジナルUSA盤モノラルレコードが良いわけではないことも判った。
大凡CDになると曇りガラスがかかったように音の細部が聞き取りにくくなる印象であった。
当然レコードのモノラル盤で聴くと、音像の広がりが豊かで細部がくっきりと浮かび上がってくる。
とはいえCDのなかにも、エンジニアの作業によって、かなりはっきりとした音像が立ち現れてきたものもあり、オリジナルのモノラルレコードよりも左側からドラム全体の細かい演奏が良く認識できるものもあった。
またレコード番号は同じであっても、プレス時期が違ってレーベルが異なるもので、ステレオ盤の場合は、気持ちの良いリバーブの時と"スナッキーで踊ろう"のようなリバーブがかかっているものもあり、色々聴いているうちに頭が混乱してしまった。
必ずしもミュージシャンたちが実際に耳を通した決定版のモノラルやステレオのアナログが最高であるとは限らないと認識してしまった。
そう考えると様々なバージョンを聴くことで、その音楽の精神性が多角的かつ立体的に露わになってくるのではないだろうかということになり、

まるでベンヤミンが言うところの純粋言語のように、純粋な音楽が複数のメディアという翻訳を通じて露わになるかのようだ。

人生は短い。出会いは大切だ。
メディアを通してでも、鬼神となった表現者の精神性に出会ってしまうと、いきなり感受性のたかい襞ができてしまって、もう聴き流すことができなくなる。
ジミヘンとマイルスの音の襞の隅々まで味わいたい。

だからもう時間を無駄にはしたくないので、どうしたらいいかと師匠に聞いたら、「ベルトドライブのレコードプレーヤー(LINNとか)を手に入れたら」と言われた。
とはいえ単に一番高いものを買えば良いわけではないらしい。

                    ロックミュージック考3のプレリュードとして


症状の事例

  1. うつ病
  2. SAD 社会不安障害・社交不安障害
  3. IBS 過敏性腸症候群
  4. パニック障害