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第8回 ワークウェア考2

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 竹脇さんは次に木製トグルのキャメルのダッフルコートを持ってきて、このように紹介した。「『第三の男』の刑事がダッフルコートの長い袖をこう折り返して着ていた」と。映画の内容や撮り方にしか興味がなかったぼくには、その視点は新鮮だった。さっそくキャロル・リード監督のその映画を鑑賞し直してみた。

 ウィーンの濡れた街並みをあやしく浮かび上がらせる光と影、ストーリーの緊迫感をあおりたてる斜めに置かれたカメラ、今回ばかりはそんなフィルム・ノワール特有の映像美に身を委ねずに、登場人物の服装に目を凝らしてみる。終戦後のウィーンのブラックマーケットを司る商人(オーソン・ウェルズ)を追うは、ダッフルコートを少し袖まくりにした刑事。巨大な迷路のような下水道をそのファッションで奔走する。気づけばこれはかっこいい。今までオーソン・ウェルズの放つ存在感に圧倒されていたが、それに引けを取らない刑事の姿。むしろ観直したかぎりでは、刑事の画がウェルズの個性に勝っていた。「飾らない身体」がその人の正直な姿かといえばそうではなく、逆にある服装を着たがゆえにさらけ出される内面性がある。ウェルズはカメラに映ればすべてを牽引する力強い肉体を持っているが、それを凌駕する「服飾という肉体」を発見できた。

 ただ放っておいたものを「自然」と言うのではない。服は確かに「人工物」ではあるが人の"自然さ"を引き出している。つまり「つくられたもの」は「人の手が入った自然」とも見なすことができ、それは「ガーデン」の意味に似ている。疎外があるから「自然」に帰れと唱えるのは聞こえはいいが、カンタン系のスローガンは逆に生を抑圧する方に働いてしまうかもしれない。(ファシズムに「自然回帰」の傾向があったように。)

 「変えること」あるいは「壊すこと」という言葉も表層的な響きだけでは簡単におさえられるものではない。川久保玲はSTYLE.COM/のインタビュー(2013年4月)で「私はルールがあろうとなかろうと興味がありません。意識的にルールを破ろうとはしていない。私はただ、自分で良いと感じたこと、美しく見えるものを服でつくっているだけです。人々はこのやり方を"ルールを破る"というふうに言うのでしょう」と語る。

 哲学者のジル・ドゥルーズは『千のプラトー』において、システム(言語システム、政治システム、資本主義システムなど)のなかの個の問題に焦点をあてた。ジャック・デリダ最後の弟子であった藤本一勇先生の講義で学んだところによると、そこでドゥルーズは思考することは「地図作成術」であるとし、記号的な座標軸を書き換えることにより、システムに「生成変化」をもたらそうとした。しかし何にでも変化させればいいというわけではない。彼はその方向づけを"マイナー性"の観点から導こうとする。たとえばカフカはチェコ生まれのユダヤ系で、オーストリア帝国のなかでドイツ語を書くという"マイナー"な立場にいた。その言語は"異邦人の語り"であり、吃音があったり、組み合わせが間違っていたりと「正統」ではない。しかしその筆跡は「正統」の概念が揺らぐほど独自で普遍的な世界を切り開き、メジャーな体系を内側から侵食していった。ドゥルーズはこのように「メジャーに潜り込むマイナーなもの」を取り上げ、「メジャーなシステムがマイナーに生成していくあり様」をあぶり出す。

 一方でいたずらに権威を求め、他者を害してまでそれに拘泥するといった変化のプロセスは、与えられた座標を肯定する"メジャー生成変化"であり、規範性を反復させていく。それに対抗する「変化の力」を説明するために、同様に卑近な例を持ち出したい。ここではラグビーの成り立ちを仮定してみよう。あるとき、サッカーでハンドをした者がいた。これは現代の感覚からすれば大きな"ルール違反"だ。だが「ハンドでもいいじゃないか」とする "ルール破り"の者がいて、そのままゴールまで突っ走ってしまった。非難が浴びせられるかと思いきや、それを見た仲間たちの間で徐々に「手で持ってやっても面白そうだ」という共感が広がっていき、いつしか「ラグビー」と呼ばれる別のスポーツが誕生した。こうやって座標(ルール)自体を書き換えてしまうことを"マイナー生成変化"と呼び、この方法は「破壊」ではなく「構築」であることは一目瞭然で、座標から逃走した先にある「創造」といえよう。"ルールを破る"ことも「地図作成術」の一つと受け止められる。

 この創造的な"ルール破り"は、竹脇さんが履いている登山靴のゴローからも伝わってきた。

 「一時期、館山のほうに行って、息子と朝海辺を走りながら写真を撮るということをやっていた。それ用に靴を買おうと思ったのだけど。」

 彼はそう考えたものの、ゴローの店長さんからは「そういう使い方はするなよ」と釘をさされたらしい。結局、彼は自分の作成した"地図"のうえを踏み歩き、靴底が平らになるほど使用していたが、作り手だけでなく、使い手も製品を違う文脈に置くことで"生成変化"を起こせるのだと実感した。店長も靴想いの職人として諌めたまでで、大事に履き馴らされた靴を前にしては、きっと怒りはしないだろう。靴はまだまだ現役で、今は畑で使っているという。

 「やはりいいですよ。蒸れないし、夏でも暑くないし。泥だらけになっても自然に乾かしてまた履く。でも壊れない。」

 その"マイナーな使用法"が実に深みのある色に変化させている。聞けば三万円くらいでつくってもらい、それでこれだけ長く使え、楽しめるのだ。どんな時代になっても良質なものをどうにか贈り届けようとするこの種の産業はしっかりと社会に残さなくてはいけない。それは自分たちの生を守ることにも繋がっていく。対話の最後に竹脇さんはぽつりと言った。

 「変わらないものはいい。たとえばイギリスの風景もそうだけど、息子が5歳くらいだったころに、一緒に散歩した町が今でも変わってないんだなと思うと、それだけで嬉しい。」

 彼の言う"変わらない"が字義通りではないことは明らかだ。バブアーのジャケットもゴローの靴も年を経るごとに"変わり"つづけている。暮らしを彩り、豊かな変化を支えてくれた土壌がいつまでもあることが、人に安心感を植えつけ、生き生きとさせるということなのだろう。

 いわば"変化を許す変わらないフィールド"があることは、個や物がメジャーな思考に絡めとられようとしている今、そこからの脱出を目指す"地図作成""クリエイション"の現場となり、守らなければならない社会の余白として位置づけられる。「私のしていることはずっと同じです。(中略)私自身の在りようや気持ちの中は何も変わっていないし、これからも変えるつもりはありません。(asahi.com 2009年12月のインタビューより)」そのことは川久保玲の逆説的な言辞からも感じられた。


症状の事例

  1. うつ病
  2. SAD 社会不安障害・社交不安障害
  3. IBS 過敏性腸症候群
  4. パニック障害