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第3回 ブライアン・ウィルソン、葛藤の先に輝くもの

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 デヴィッド・リンチが夢と現実の仕切りを取り払う際、映像表現のみならずそこで奏でられる音楽が重要な役割を占めていたように、音楽にはじかに人の心や意識に触れ、日ごろ経験したことのない感覚へと誘う力がある。今回は1960年代後半に共時的に発生し、そのような力を引き出して既存の枠からの「大脱出」を試みた音楽シーンについて、その意義とともに振り返ってみたい。それは現在でいう意味での「ロック」誕生の一時期だった。

 例によって、まず菩提寺医師から『Smiley Smile』と『SMiLE』についての文章の依頼があった。そこで紹介するのはアメリカのロックバンド、ザ・ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンだ。彼はバンドのリーダーとして活躍し、61年の結成から全米のトップバンドになるまでを導き、その全盛期を支えたソングライターならびにボーカリストである。ビーチボーイズがブライアンとともに精力的に活動していた時代はイギリスのザ・ビートルズの活動期とほぼ同じであり、ビートルズと同様に(あるいは対比させられながら)そのバンド史は多くのファンや評論家によって今までに語り尽くされてきた。そのため、子細な事実関係やディスコグラフィはそれら文献に譲るとして、この回ではぼくがブライアン・ウィルソンに向ける眼差しのなかで話を進めていきたい。

 音楽的な革命とビーチボーイズが刺激的かつ美しく実を結ぶ点として、ブライアン・ウィルソンがセルフプロデュースしたアルバム『Pet Sounds』(1966年)と未完に終わった次作『SMiLE』(67年発表予定)が挙げられる。(現在は『SMiLE Sessions』としてまとめられ、その断片を聴くことができる。)前者は、ビーチボーイズがそれまで歌詞に織り交ぜ繰り広げてきた車、海、太陽などといったイメージを捨て、単に「売れる商品」としての楽曲(シングル)制作から脱却し、ブライアンがほぼ一人で作り上げた一つの世界観(コンセプト・アルバム)が提示されている。その世界は、彼の圧倒的な孤独や言いようのない寂しさが隠し切れない苦悩としてにじみ出ているものの、そこは自分にとっては大切で守るべき心の空間だという自負があり、自らの存在を肯定し輝かせるべく様々な音で彩られている。美しいコーラスと高度な多重録音に加え、なかには犬の遠吠えや列車の通過音といった斬新な音響も取り入れられているが(≪Caroline, No≫)、注目すべきは一つ一つの表象ではなく、自分の存在位置をアルバム全体に託そうとした当時においては唯一無二の姿勢である。そこで奏でられる"サウンズ"は葛藤の響きであること、そしてそれは肯定的で感動的なものであることが、アルバムを通して知ることができる。不安や悩みはそれ自体否定すべきものではない。むしろ、個のなかにある豊かで独創的な世界へ通じる道標である。自分がとらわれているある枠組みからの脱出は、現実を拒否して超え出た世界にあるのではなく、現実の矛盾・葛藤をごまかさずに見つめ、芸術ならばそれを(不協和音など使って)的確に表現した先にあるのではないか。そこに立つのは精神の此岸と彼岸のぎりぎりの緊張関係の上に築かれる重奏的な楼閣だ。

 しかし『Pet Sounds』は、シングル・ヒットを重視するアメリカのレコード会社の方針もあり本国ではあまり売れず、すぐ後に発売されたビーチボーイズのベスト盤(まさにシングルの寄せ集めである)が苦心の意欲作を優にしのぐ売り上げを見せたため、ブライアンは大きなショックを受けた。そして次作『SMiLE』の制作中についに精神的に限界をきたし、アルバムを完成させることができなかった。

 一方で、『SMiLE』の代わりに「コンセプト・アルバム」の最初の名声を勝ち得たのはビートルズの『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』(67年、以下SPBと略)だった。ポール・マッカートニーが『SMiLE』制作中のブライアンとの交流で影響を受けながら、その概念を先に形にして世に問うたのだ。その作品はロック史に新風を吹き込んだ名盤として謳われているが、今聴いてみるとどうだろう。ビートルズのメンバー個人個人が独立した世界を出しており、そこに有機的な繋がりは薄く、かのペッパー軍曹は多重人格のような表情を見せている。つまりアルバムに物語性があるだけで、そこに統一された世界観はない。正確に表現するなら「際立った個性がクロスオーバーするアルバム」となるだろう。また音の革新性という点についても、イギリスではロンドンのUFOクラブにおいて、ピンク・フロイドやソフトマシーンといったバンドがアンダーグランド・ムーブメントの潮流のなかでロックの起爆剤となる画期的な音をすでにかき鳴らしており、同時代でみるならばビートルズだけを特筆することはない。これはまったくの主観だが、ビートルズのSPBが「明るい人間が時代に対応して暗がってみせたもの」であるのに対し、ブライアン・ウィルソンのそれは「暗い人間が自身の光り輝く部分を見つめ、明るい音楽に結晶させたもの」という違いがある。ブライアンにとってアルバムとは存在の葛藤を形にするべく作られた全体性の回復であり、流行りの手段から入って音楽制作に臨んでいたのでは決してない。

 片やビーチボーイズは『SMiLE』と引き換えに『Smiley Smile』(67年)をリリースした。ブライアンはもういない。しかしその精神はこのアルバムにしっかりと刻み込まれており、揺るぎない世界観を獲得している。SPB期のビートルズとは対照的に、ビーチボーイズは協働の過程から「際立った個性」に還元できない土壌が育まれていた。これこそ「バンド」でいることの意味、人と人とがともに生きることの素晴らしさであろう。これはブライアンが一時離脱したからこそ見えた次元でもある。さらに言うなら、ブライアンの精神がブライアン自身から解放されたことにより(すなわち種となってまかれたことにより)、本人さえ気づかなかった側面を他のメンバーたちに見いだされ、より多面的にその創造性を広げることができた。つまり、『SMiLE』は未完ゆえに無限の想像力を与え、『Smiley Smile』は不在ゆえにバンドの成熟を印象づけたといえる。この二作はその時々の「いま」を乗り越える可能性は、偶然に満ち開かれた世界に宿ることを示唆している。

 過去も現在も、社会で生きる人間のもとには、不安の影が寄り添っている。しかし不安という感情はつかの間の喜びや一時の楽しさなどによってただ無視されたり、否定されたりするべきものではない。それは偽りなく自分を振り返る機会であり、そこを入口に代替不可能な「自分の世界」が開けてくるかもしれない。ブライアン・ウィルソンは自身の不安を信じることで数々の傑作を生みだし、葛藤から自分が生きる力を引き出した。人生を一つのコンセプト・アルバムに例えるならば、それは『SMiLE』と同様に未完の傑作であり、葛藤があるがゆえに自分独自の美しい音色を響かせることができるのだろう。そしてその響きは『Smiley Smile』のように散種され、ともに生きる誰かが受け止めてきっと花を咲かせている。

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症状の事例

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  2. SAD 社会不安障害・社交不安障害
  3. IBS 過敏性腸症候群
  4. パニック障害