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第2回 デヴィッド・リンチ、異世界へのラット・レバー

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 第1回のブログでは、実は苦境を脱出できるレバーがあるのに、「抜け出せない」という閉じられた回路によって手も足も出ない状態に陥っているラットを、現代社会の様相に照らし合わせて眺めてみた。周りの人の存在やひょっとすると抗うつ薬に代表されるレバーが"無力状態"の人間をその枠の外部へと連れ出すこともできるが、このブログでは「芸術」というジャンルも一つのレバーとして考えてみたい。芸術に呼び起こされる感覚は、いま自分のいる世界とは別の世界の存在を明らかにし、また自分に潜む葛藤をそれ自体で美的なものとして肯定させる力がある。ここでは、芸術を入口として見えるそんな脱出口も探っていきたい。

 「枠の外部」へと導く芸術、すなわち「異世界」への道先案内人として、まずアメリカの映画監督であるデヴィッド・リンチの名前をあげよう。彼はその作品を通して、日常と夢の境界線が入り混じり、「別の仕方で存在する世界」を絶えず提示し続けている。それはたいてい悪夢の表情を見せるが、どこかで見たことのあるような、あるいは心の奥底で望んでいたような甘美な時間が流れている。奇人、倒錯、恐怖、幻想...。リンチが描くこの世界は実のところ「アメリカ」を映したものであり、俳優、音楽、風景などは古き良き50年代の要素が占めているが、「夢」を最も多く生産していた時代のアメリカにまどろむような悪夢を託しているのだ。

 この夢から悪夢への反転劇に、リンチなりの美意識と批判精神を読み解くことができる。『マルホランド・ドライブ』(2001年)はまさに「夢の工場」であるハリウッドを舞台にした映画であるが、映画女優になるという夢の先に、悪夢に陥ってしまった女性の哀しさがノスタルジックに漂う。一方、私たちがこの日常で信じている「夢」も、果たして身を捨てて飛びつくほど優しくて安定的なものだろうか。受験、就活、昇進、権威、それは夢の始まりであると同時に、悪夢の始まりであるかもしれない。リンチの映画が描くようにそれらの枠組みは確固たるものではない。いや、それこそ映画よりも現実の方が恐ろしいほどに変動の激しい世界であり、いっそのこと「夢の型」を破って自分の信じる「枠の外」を生きたほうが安心だともいえる。

 さて、この「夢の構造」以外にリンチの世界を形成しているのはその「音楽」である。先日、菩提寺医師からリンチの代表作に数えられる『ブルーベルベット』と『ロスト・ハイウェイ』のサウンドトラックをもらって聴いてみたのだが、これが驚くべきものだった。音を聴くだけで映像がありありと浮かんでくる。不気味に回転するスプリンクラー、夜道を照らす車のヘッドライト、飛び回る蜂の音、それらが映像なくして「異世界」への扉を開く。これはリンチ映画の音楽を手掛けるアンジェロ・バダラメンティの力による部分も多いが、劇中に使われるオールディーズソングも(ボビー・ヴィントンの『ブルーベルベット』やロイ・オービソンの『イン・ドリームス』など)、まったく別の表情を見せ、怪しげに響いている。同じ曲でもそれが置かれる文脈によって違う輝きを放つ。これは人間という存在にも当てはまるのではないか。自分の色や適性などは自分が信じるほどには固定的ではなく、その状況に応じて引き出される。小石だと思っていたものが宝石に変わるときがある。そういった環境が「枠の外」にあるのなら、レバーを引いて脱出すればいい。

 また映画音楽に関連していえば、かつてフランスの映画監督、ジャン=リュック・ゴダールが「ソニマージュ」という概念を打ち出した。フランス語のソン(音)とイマージュ(映像)を組み合わせたゴダールの造語だが、これは映像に従属しない、あるいは同期しない音作りを目指した。映像(シーン)を際立たせるための音楽ではなく、音も一つの独立した存在であることを示そうとし、突然音が途絶えたり、また突然流れ始めたりする実験を試みたのだ。ソニマージュからすればリンチの音楽は「映像に同期したもの」として退けられるだろうが、それはもはや映像を必要としない域にまで達している。音を聴いて、映像も、物語も、質感も、匂いも伝わってくる。これも"映像に従属しない"音作りの一つの極を示しているのではないだろうか。ここに、「映像を必要としない映画」という新しい世界が見えようとしている。

 今回はデヴィッド・リンチをピックアップしたが、たった一人の映画監督の映像や音楽に触れてみるだけでも、そこには多くの異世界への回路が、すなわち枠の外へと通じる抜け道があることがわかる。そして、ぼくたちがこのような作品を受け取ったときに開かれる新しい回路も、またあるはずである。

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症状の事例

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  2. SAD 社会不安障害・社交不安障害
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  4. パニック障害